“中原淳一が「苺のもっとも理にかなった食べ方」と書いてる食べ方をしてみた。ブランデーと蜂蜜を同量混ぜたソースをかけて冷やし、レモンを絞って食べるというもの。半信半疑でやってみたら、信じられないぐらいおいしくて驚愕した。今までの苺レシピで一番おいしい。”

Twitter / mio_tarot (via cknbstr)

今度やってみよう。

(via sakimura)

僕のおじいちゃんは、某有名大学出身でとても頭も賢く、運動神経も抜群で、

小さい頃はよく勉強やスポーツなど、色々とおじいちゃんに教えてもらっていた。

しかし、今はおじいちゃんに勉強を教えてもらっていない。

正確に言えば、教えてもらう事が出来なくなってしまった・・・。

僕が高校2年生になった頃、

おじいちゃんは認知症になってしまったのだ。

今では僕の事も、実の娘の僕の母親の事も分からなくなってしまって、

いつも僕たちに「はじめまして」とあいさつをしてくる。

唯一、奥さんである僕のおばあちゃんの事は分かっているみたいだったけど、

ここ最近になって、おばあちゃんの事もわからなくなってしまった。

しかし、おばあちゃんは毎日笑顔で懸命におじいちゃんの世話をしていた。

今年の年初め、

家族みんなで集まって家でごはんを食べようとなり、久々に家族全員で集まる事になった。

家族の誰一人分からなくなってしまって、

とても緊張をしているおじいちゃんに、

おばあちゃんが笑顔で家族のみんなを紹介していった。

すると、

いきなりおじいちゃんは真剣な顔をしておばあちゃんに話し出した。

「あなたは本当に素晴らしいお方だ。

いつも素敵な笑顔で僕に笑いかけてくれる・・・

あなたが笑ってくれたら僕はとても幸せな気持ちになれます。

もし、独り身ならば僕と結婚をしてくれませんか?」

家族全員の前でのプロポーズだった。

2回目のプロポーズに、

涙をぽろぽろこぼしながら、

おばあちゃんは笑顔で「はい。」と答えた。

“つまり下村氏は、「そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相」「実際、「これどうなってるの」と総理から何か質問されても、全く明確に答えられず目を逸らす首脳陣。「判らないなら調べて」と指示されても、「はい…」と返事するだけで部下に電話もせず固まったまま、という光景を何度も見た。これが日本の原子力のトップ達の姿か、と戦慄した」というわけだ。”

592 名無しさん@七周年 New! 2007/01/25(木) 19:16:05

僕は日本の女性が好きだから言う。

彼らが男友達といる時にあなたの事を何と言っているか知るまで、

外国人の男を信じちゃ駄目だ。これは男にも言えるよね。

僕はデートする前に女に言う。「僕、金ないよ」。

これで相手の考えていることが簡単に分かる。

女性の社会進出とか言うけど、いつの時代も同じだね。

女が男に求めるものは財政的安心、そして男が女に求めるのはsex。

ただやり方と言葉の表現方法が変わっただけだよ。

「I love you」「you are so beautiful」と言われた。

「日本の男はこう言う事を言つてくれない」だそうです。

それは彼女達の外国語能力が低いからだ。

アメリカの男もヨーロツパの男もこれは言わない。

「他に言えないの?」と笑われるからだ。冗談だと思われるね。

今時こんなクラシツクな口説きかたは誰もしない。

日本女性が言う「私の彼はよくI love youと私に言うわよ」。

それは彼女達が英語を理解できないからだよ。

どんな馬鹿でも「I love you」は知っているからね。

それ以上に気のきいた事を言っても分からないでしょ?

まともな女はこれでは落ちない。

ヨーロツパで嫌になるほど言われた。

「日本の女とsexするなら三つのセリフで十分だ。

I love you (愛しているよ)、

you are so beautiful(君はすごく美しい)、

そしてyour English is good (あなたは英語が上手いですね)」。

「これで落ちないなら、この女は本当に英語が理解できると

 思っていい」と言っていた。

前にも書いたけど、日本人は馬鹿にされているんじゃなくて、

馬鹿にされる事をしているんだよ、外国で。

いいかげん分かってよ。

あたしが小学5~6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。

*****

こうやって丁々発止で説得し合ううちに、けっこうみんな、最初とは意見が変わっていくんですよ。「自分はドッジボールが好きだけど、当てられて嫌がる人がこんなにいるなら、バスケの方がいいかな」とか。「ソフトボールがやりたかったけど、言われてみれば学校のグローブはボロいし数も少ないし、別の種目の方がいいかな」とか。いろんな角度から意見とその理由を発表し合って、考えに考えて、意見が出尽くしたところで「では採決を」と持って行くのが、マツダ先生のやり方でした。

これが当たり前だと思ってたんだよね、小学生時代のあたしは。ところがいざ中学校に入ってみると、そこでの「話し合い」はこんなていたらくだったんです。

*****

なんちゅう幼稚な意思決定方法だ、と12歳のあたしは思ったね。こいつら小学生以下かと。これじゃ各自がなにも考えずに「ぼくのわたしの好きなもの」を選んでるだけで、意見を交わしたり考えたりっていうプロセスがゼロじゃん。自分と違う視点に気づくチャンスすらなく、それぞれセルフィッシュに「(自分が好きだから)これがいいでーす」と手を挙げるだけで、こんなの何の意味があるんだよと。

*****

そんでもって、意見交換で相手を説得するには根拠が必要なんです。上の方にも書いたけど、根拠を挙げようと思ったら、「ぼくは/わたしはこれが好きだから、みんなこれに賛成するべき」なんて小学生ですら恥ずかしくて言えなくなります。たとえタテマエでもいいから、「なぜこれが集団の構成員全体にとって有益なのか」を示さなければならなくなるわけで、全員が頭をひねってその「なぜ」を考えるうちに議論が深まり、より考え抜かれた意見が形成されていきます。そこまでやってから決を採ってこその多数決でしょ。

*****

結局はマツダ先生が偉かったってことになるんでしょうけど、ああいう議論のしかたの教育を日本じゅうの小学生が受けられるようにしなくちゃいけないと思いますね。ゆとり教育の見直しで算数だの英語だのの時間を増やすのもいいけど、こういうところにももっと力を入れていく必要があるとあたしは思ってます。

■最も大きいコストは人件費

・安いコピー機はいけない
 電気代を節約するのはいけない
 →人件費というコストがかかるから

■稼ぎ=能力×時間

・能力が高ければ、かける時間は短くて済み、
 能力が低ければ、かける時間は長くなる

■管理職は特権階級ではない

・上司であるということは、役割でしかない

■自分の仕事ばかりを優先するダメ上司

・自分の仕事は短い時間で成果を出せるので、そちらにばかり精を
 出してしまいがち。
 自分の仕事を優先すると、管理職の仕事がおざなりになる。

■社長がひまだと社員は働かない

・名刺や人脈が有効となる営業活動や社外交渉。
 社内の様子をつぶさに観察しての細かな指示(例えば、入り口の花を
 からさないように、でも良い)など社員にはできない仕事、
 気付かない仕事に専念しなければならない。

 一方、社長自身が動いてもいけない。

 社長は能力があっても、現場で自分でばかり働くことに専念していては
 いけない。

■できる社長は、感謝や期待を言葉であらわす

・「○○さんに任せるよ。何があっても責任は私が取るから、一生懸命
 やってくれ」

■乗るか反るかの投資はしない

・商品の発売直後はライフサイクルでいう導入期。
 導入期の3年間は、その商品でのビジネスは赤字を覚悟しなければ
 ならない。

 導入期の途中で断念せざるを得ない、という状況を避けるため
 3年間の赤字負担額を見込んでおき、その負担に耐えられる体力を
 溜め込んでおく。

■開発費にかけるお金は、資金全体の1割を原則に

・残り9割は売るためのお金(販売費)とする

・多くの開発型企業では、開発費9割、販売費1割とまるっきり
 逆になることもあるが、注意

■粗利率=(売上 - 仕入れ)÷売上×100

・100円で仕入れて200円で売る
 90円で仕入れて190円で売る
 110円で仕入れて210円で売る
 →全て粗利は100円だが、粗利率が異なる
下記のように、最も売上が高い210円で売った場合の粗利率が低くなり
  逆に一番安い190円で売った場合の粗利率がもっとも高くなる

 (190-90)÷190×100=52.6%
 (200-100)÷200×100=50.6%
 (210-110)÷210×100=47.6%

 →安く仕入れて、その分安く売ったほうが儲かる

■坪効率は机上の空論

・坪効率よりも重要なのは原価計算

 収入-支出=利益
 の基本原則を忘れないこと

■原価の内訳

・原価には「直接原価」(仕入れ)と「間接原価」(経費)がある

・経費の中で比率が大きいのは、人件費と家賃などの固定費

・原価計算をするときに、仕入れしか考えず、経費を忘れてしまっている
 人も多い

■適正価格を決める思考法

・価格設定をするときは、もちろん原価計算をする

・直接原価、間接原価の他に
 リスクファクター(変動要因)に備えて
 上乗せ利益を勘案して価格を決める

■もうけの源泉は見積もり力

■「払え、バカヤロー」の覚悟

・売掛金の回収の仕組みを徹底させる

 例えば・・
 営業担当者は事前に支払いサイトを聞いておき、
 請求書を回す際には経理部に伝えておく。
 約束の期限がきたのに、入金されていなければ
 その日のうちに営業担当に伝え、経理が督促する。
 1日でも遅れたら督促をするのが、貸し倒れのリスクを減らすコツ。

 そして、督促しても支払わない場合はその時点で商品・サービスの供給を
 止める。

 最終手段としては、売掛金はとれなくてもいい、貸し倒れで捨てる
 という覚悟をして「払え、バカヤロー」と殴りこみに行く。
 (実際にはバカヤローとはもちろん言わないが)

 こう言われた相手は、「会社をつぶされるかもしれない」と恐怖を
 感じる。相手も必死だから、そう感じないと支払いには応じない。

■交際費は正しく使う

・資本金1億円以下の会社は。年間400万円の交際費の9割が損金として
 認められる
 →毎月、約30万円強が経費として使える

・交際費は利益の範囲内で調整しながら使う

 月次の損益計算書を見て、15万円の利益なら交際費の枠を15万までとする
 (交際費を使わないと、利益の半分の7.5万円を法人税として払わなければ
 いけないが、経費になる交際費を使えば、利益を減らすことができる)

・きちんとした接待なら、午後6時くらいにスタートして、
 料理を食べ、きちんと話をして、どんなに遅くとも10時半には終わる。
 予算は一次会のみで、一人2,3万円。これで十分。

■宝物は危ない橋の先にある

・身近なリスクに細かく気を回す

・ただし、あまりリスクヘッジばかりすると、ビジネスチャンスがなくなる

・最大のリスクヘッジは人をきちんと見極めること
 トラブルの大変は人が原因。できるだけ信頼できる人と付き合うこと。

インタラクティブ・エージェンシーではたらくWebプロデューサー (via makotoway) (via egoistically) (via vmconverter) (via kml) (via nanospectives) (via jinon) (via yangoku) (via plasticdreams) (via tsupo)
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どの局もやっているワイドショーの新聞読み。本来だったら、この新聞記事は正しいのかどうかを検証して報道すべきなのだがどの局もそれをやっていない。かつて「ザ・ワイド」というワイドショーのキャスターをやっていた草野仁氏、2007年12月号の文藝春秋でこう書いている。

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ちょうど森政権の末期、ある女性週刊誌に、「支持率が悪いのに森総理がなかなか辞めないのは、退職金を少しでも余計にもらうためだ」というコラムが載ったんです。執筆者は税理士で、今、辞任すると退職金はこれだけだが、もうちょっと粘るとこれだけ増える、と数字が出ている。番組スタッフがこの記事を面白がって流用し、税理士のインタビューを入れてVTRを作ったのです。

当日の打ち合わせでVTRを見せられて、「これはまずいぞ」と慌てました。まず客観性がない。総理をやめない理由が憶測にすぎず、証明のしようもない。自民党はメディアをチェックするモニタリングシステムを強化しているから必ず突っ込まれる。「絶対だめだ」と言いましたが、そういう日に限って他のコーナーの確認作業に時間をとられ、代替案を話し合う余裕がない。しかし放送時間は迫ってくる――。これをボツにしたら番組に穴があく、とプロデューサーに泣きつかれ、私も困り果てました。

しかたがない。VTR明けの私のコメントでバランスをとるしかない。「洋の東西を問わず、権力の座に着いた方は、一日でも長くその座に留まりたいと思うのは間違いない事実。まさかそんなことはないと思うけれど、日本の総理大臣がそういう風に言われてしまうのは、なんとも寂しい話ですね、有田さん」と、印象を和らげようとしました。

しかし案の定、強い抗議がきました。さらに悪いことに、税理士の算定基準に誤りがあった。翌日の放送で謝罪しましたが、これは本当につらい一件でした。

実際、すぐ番組が打ち切りになっててもおかしくないほどの致命的なミスでしたが、残念ながら、内部での検証がほとんどなされないまま、番組関係者の中に傷として残ってしまいました。

この「2001年4月3日事件」以降、政治にはヘタに触れないでおこうという暗黙の了解が生まれ、スタッフのなかに消極的な空気が醸成された。

そこに登場したのが、小泉純一郎首相です。ワンフレーズ・ポリティクス、劇場型政治といわれましたが、まさにテレビ向けの演出で「ワイドショー化」していく小泉政治に、われわれワイドショー側が対抗できなかった。腰が引けていたことは否めません。「2001年4月3日事件」の痛手です。

北朝鮮拉致問題だけは敢然として、小泉首相といえども厳しく聞いてまいりましたが、政治全体としては、小泉さんが演出するワイドショー政治に、ワイドショーが振り回されてしまった。その批判は甘受しなければと思います。

「2001年4月3日事件」の反省点は他にもあります。他人が書いた記事の内容を検証もせず、映像化して放送するなどということは、報道の原則からもあってはならないのです。自分たちの足で稼いで、独自に裏付け取材することを第一としてきた『ザ・ワイド』の精神が、しだいに緩んでいたのでしょう。

同じ意味で、いま多くの番組で行われている、その日の新聞紙面を読み上げるコーナーも、テレビ局本来のプライドを失わせるものです。テレビ局という大組織で予算もありながら、新聞を読み上げるのは、自分たちの取材力がないと白状しているようなものでしょう。私は、『ザ・ワイド』での夕刊早読みコーナーにも反対で、何年かやっていましたが、視聴率も決してよくなかったですね。

最初にはじめたテレビ朝日の「やじうま新聞」は斬新なアイデアだったと思いますが、今や新聞や雑誌の記事をそのまま紹介してコメントする形式が、多くの情報番組でごく普通になっている。長い目で見たとき、テレビへの不信感につながるかもしれません。

ただ、テレビ界の構造的な理由もあります。この10年あまり締め付けが厳しくなって、芸能ニュースなどは、大手プロダクションに所属するタレントのスキャンダルは取材できないのが実情です。かといって事務所側の発表ニュースばかりでは面白くないので、いきおい、雑誌のスキャンダル記事を紹介することになる。バブル崩壊後、取材費がかなり厳しくなったという実情もありますね。キャスターの出演料が制作費を圧迫している番組もあるようですが(笑)。(文藝春秋2007年12月号「ワイドショーは死んだ」草野仁著)

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この『ザ・ワイド』が終わったのは2007年9月だから、現在はどうか。今週発売中の週刊ポストでは、「さらば、テレビ」という特集を組んでいる。

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10年前の約9時間半から10時間40分へと1時間10分も放映時間が増えているテレ朝。同局の情報番組関係者が語った。
「朝の情報番組の場合、独自取材はゼロといってもいい、今朝の企画会議のラインアップの95%が新聞・週刊誌から頂いた情報です。スタジオさえあればニュース素材の編集で番組が作れるから安く済む。出張取材などほとんどありません」(週刊ポスト2011年8月19・26日合併号「さらば、テレビ」小学館)
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ますますエスカレートしているようである。しかも検証しているふしがない。「マスメディアは人から腐る」でこんな言葉を引用した。

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第二に、仮説を検証しないディレクターが生まれた。

視聴者の耳目を集める企画をディレクターは提案したい。企画は前に書いたように仮説である。取材という検証を通じて初めて番組にすることができる。いわば番組に育てる前の芽のようなものだ。その前提が崩れた。

仮説の検証の第一は、まず現場に行くことである。関係者の話を直接に取材しなければ何事も始まらないはずである。ところが、仮説を立てるものと検証する者が別々になってしまった。(小出五郎著「新・仮説の検証 沈黙のジャーナリズムに告ぐ」水曜社)
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さすが、草野氏はNHKの出身なので、検証の大切さを知っている。ところが、このエントリーで書いたように、NHKですら、このありさまである。民放では、事実の検証の大切さを指導しているのだろうか。

“その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、 「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」

後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
 分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
 神様のように感じます。
 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
 五年生の時に担任してくださった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。”